好きを仕事に、は危うい?30歳の答え。
IKIGAIのベン図を、私なりに再解釈してみた。
先週は「好きを仕事に、を舐めるな。13歳の約束。」というエッセイを書き残してみた。ちょっとドキッとさせてしまう内容かな、でも必要そうな人には届けたいな、と迷い迷い公開ボタンを押した。
すると、インスタのDMやサブスタのRestackで、いろんな反響をいただいた。久しく会えていない日本の友達からの「読んだよ」報告や、「かねやり4象限やってみたよ」報告も、めちゃくちゃ嬉しかった。(ありがとう!)
それから私自身も、さらに内省することができた。今日は先週の続き。
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(1)好きとお金だけ?得意とニーズはどこいった?
まず、一番質問をもらったのはこれ。どうして私の「かねやり4象限」は、「好き」と「お金」のみを軸としているのか。きたきた、そこが味噌やねん。というわけで、ここで丁寧に書いておきたい。
キャリアやワークライフバランスについて考える際に、よく使われるフレームワークは「好き」と「お金」のみで構成されていない。「好き・得意・ニーズ・お金」の4要素がベン図として描かれていて、その重なる部分があんたの天職なんやで〜、っていうやつ。
あのベン図って、けっこう定番な気がするけど、なんか名前とかあるんかな。ちょっと気になって調べてみた。そしたら、なんとまあ。いま私が暮らしているイギリスでは、あのベン図が「IKIGAI(生き甲斐)」という日本の思想として、どうやら認知されているらしい。
たしかに、有名すぎるベストセラー本「IKIGAI」は、ウォーターストーンズやフォイルズのような大型書店では長いこと平置きされているし、なんなら書店に限らず、ロンドンのあちこちで見かける。つい先日、人気のライフスタイルブランド Oliver Bonas なんかでも見かけた。
デンマークの「ヒュッゲ(心地よい時間)」、スウェーデンの「ラーゴム(適切な量)」といった北欧の幸福論に続いて、日本の「イキガイ(生きる目的)」がイギリスで定着しているというわけだ。
正直なところ、いち日本人としては「あれが日本の思想・・・?」と疑問が残る。ん〜、よくわからない。でも、少なくとも私は20代のうちに、知らず知らず、あのベン図と向き合っていた。そして30歳になった今、掴みつつある答えこそ、私にとっての生き甲斐そのものだった。
(図1:IKIGAIのベン図を、私なりに再解釈してみた。)
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(2)得意とニーズはどうにかできる
知らず知らずのうちに、私は「IKIGAI」ベン図をひと通り実践していたわけだ。その上で、今ではその4要素から「好き」と「お金」のみに絞って判断するようになった。
なぜなら「好き」と「お金」はどうしようもないけれど、「得意」と「ニーズ」はどうにかできるからだ。
もちろん「得意」と「ニーズ」が、どうでもいい、と言いたい訳ではない。どうにかできる、と言いたい。でもこれは、30歳の今だから言えることだ。働きはじめた頃はそうは思えなかった。20代を走り切ってみて、ビジネスがなんたるものか掴めてきて、どうにかできる、と思えるようになった。
もしあなたも、「得意」と「ニーズ」はどうにかできるかも、と思えるフェーズにいるのであれば、もっと自由に「好き」と「お金」だけに絞って考えてみてほしい。
友達の悩みを聞いていると、この4要素を横並びに考えているケースが多い。だれの話を聞いてみても、「好き」と「お金」だけは、そう簡単には変えられないものに思える。
どうしようもないんやからさ、もっと真正面から向き合ってみたらいいやん。心のなかの純粋無垢なヒロインが叫んでるで。(だって好きなんだもん♡)
そうやって「好き」と「お金」に絞ったとしても、書き方をベン図にしてしまうと、否定形のほうが可視化できない。否定形のほうの「やりたくない」「お金にならない」こそ可視化しておいた方がいい、と私は思う。何度もぶっ倒れながら20代を完走した、私の経験上ね。
(図2:かねやり4象限。私にとって「得意」と「ニーズ」は動的要素だ。)
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(3)どれに重きをおくのが幸せ?
「好き」と「お金」はどうしようもないから、それを「かねやり4象限」で棚卸しして、自分の幸せと不幸せを正直に確かめていく。これが私なりのサバイブ術だ。
ただ、ベン図の4要素「好き・得意・ニーズ・お金」のうち、どれに重きをおいたキャリアが自分にとって幸せかは、やはり個人差があると思う。これは先週のエッセイにも書いたとおり。
会社で出世するとか、業界で目立つ存在になるとか、それ自体に幸せを感じる人も、感じない人もいる。「山登り人生」が楽しくて、「山」を人生の本体として見立てたような生き方を望むひともいる。一方で、私のように「登る山が、人生の本体ではない」と考えたほうが、生きやすく感じる人間もいる。ほんまに人それぞれ。
でもそんなこと、ビジネスの悲喜交々、あれやこれや経験するまでは、わからなくて当たり前。わからないまま20代を完走してみて、ようやく自分なりの幸せの輪郭が見えてきた。
まだまだ途中やけど。
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(4)好きから流れる川のように
働くとはなにか、という私のフィロソフィーに、大きく影響を及ぼした思い出がある。
それは、読売新聞の中学生記者として、当時の京都市長にインタビューした時のこと。私は「市長にとって、働く、とはなんですか」と尋ねた。その答えが、いまでも私の指針となっている。
「傍(はた)を楽(らく)にすることですね」
そうだ。「好き」はそもそも、自分のいちばん傍にいる、自分自身や周りのひとを、楽にしてくれるものだ。
そんな身近に「ニーズ」があるということは、日本のどこかにも、世界のどこかにも、必ずその「ニーズ」があるはずだ。それに、「好き」を極めれば「得意」にできる。「ニーズ」があれば、対価として「お金」をいただける。
私みたいに、競争社会や資本主義がそもそも得意ちゃうなあ、という人もいると思う。そういう人は、「得意」と「ニーズ」は一旦ほっといて、後付けでええと思う。「好き」から考えたほうが結果的にうまくいく。だから、私的にはベン図じゃなくて、4ステップのほうが考えやすい。
好き → 得意 → ニーズ → お金
好きからはじまる、川の流れみたいなものだ。あっ、そうか。「好き」だけはどうしようもなくて、すべてはそこから連鎖するもの、と感じているのかも。だから、ベン図のように横並びに存在するのは、どこか違和感がある。私には、自然発生した「好き」から流れる川のように見える。
・「好き」は自然発生する(だって好きなんだもん♡)
・「得意」は育てられる
・「ニーズ」は探せる
・「お金」は結果として発生する
例えば、コンマリさんがまさにその象徴だと思う。片付けが好き、ということでさえ、あれほどの世界的ビジネスに広げることができるのだ。どんな「好き」だって、じっくりと育てれば「得意・ニーズ・お金」に辿り着けるのだから、人生って面白い。
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(5)実際あんたはどうなん?
って感じだと思うので、私の「かねやり4象限」も開示しようと思う。
脱サラして、イギリス移住して、何度も立ち止まりながら辿り着いた私の現在地は、こんな感じ。
(図3:私の現状を改めて、かねやり4象限に書いてみた。)
年始に殴り書きしたものがあるけれど(見せられへん!)、あれから5ヶ月。またまた変化していた。
書き方のコツとしては、就活生の頃によく言われたアドバイスの受け売りなのだけれど、「名詞」ではなく「動詞」で見直すこと。私は大きく分けて2つの業界で働いている(音楽と広告)。けれど、こうやって書いてみると、「名詞」では別物でも、「動詞」にすると同一なのだと再認識できる。
それから、同じ動詞でも、右側と左側の両方に分岐させること。私の場合、作ること、特に作詞作曲がその最たる例だが、意識して両方に分岐させている。なぜなら先週も書いた通り、「好きを仕事に」は危うい、奇跡みたいなものだから。舐めてはいけない。
あとは、自分の「疲弊パターン」を知ること。かねやり4象限はとても動的で、「好き・得意・ニーズ」の変化によってプラスに動くし、「疲弊」によってマイナスにも動く。最近は、このパターンを理解して対策を考えることもまた、誠実に働くということだと思う。
そうやって年々、すべての境界線が馴染んできたというか、業界も業種も越境するようになったというか、いい意味で、仕事と人生の境界線も曖昧になってきたというか。これは自分なりに時間をかけて、意味のある遠回りを続けられている実感でもある。
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(6)友達のかねやり4象限をみて
どんな動詞で表すかに、ずいぶん個性が現れるものだなあ、と思った。特に、その動詞に「他者が介在する・しない」の違いは大きいように思う。自己完結型の動詞もあれば、内発的であろうと外発的であろうと、他者ありきの動詞がある。
私の動詞はどうだろうか。「作る」は比較的、自分ひとりでも完結できる。でも「作る+届ける」になると、そこには他者が介在する。「観察する+学ぶ」も同じだ。内発的な行為に思えるが、実は他者からの影響が大きい。一方で、私が苦手な「処理する・調整する・管理する」は、かなり他者ありきだ。
私の場合、とにかく「作る+届ける」が大好きだ。作るものはなんでもいい。音楽でも広告でもいい。このエッセイもそのひとつだったりする。作るプロセスだって、なんでもいい。自分がいろんな役割で、ものづくりに携われたら嬉しい。クリエイターでも、プロデューサーでも、なんでも。作って届けることには、いろんな面白さがある。
(自分)創作欲求が湧く
↓
(自分)作り手の自分と受け手の自分の両方が心動くものを作る
↓
(世界)誰でも届く場所に置いておく
↓
(世界)誰かが喜んでくれる
↓
(世界)結果としてマネタイズされる
っていう状態が、私の超理想形だ。最終的には誰かを喜ばせたい、他者貢献したい、「傍(はた)を楽(らく)にしたい」という指針はありつつも、まずは作り手の自分と受け手の自分が「楽になる」ことが第一優先だ。そのふたりを満足させられたということは、日本のどこかに、世界のどこかに、喜んでくれる人が少なからずいる、と信じている。
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(7)好き以外の欲求を見つめ直す
承認欲求、出世欲、物欲など、腹の底にある「好き」以外の強い欲求もまた、人それぞれにあるものだ。私の場合、例に挙げたような欲求が湧いてこない。だから、出世とかSNSとか、今ある社会構造にあまりに不向きだ。
とはいえ、自己承認欲求はないけれど、作品承認欲求はめっちゃ強い。創作欲求の先で、ひとりでもいいから、作品を承認してくれる他者を期待している。それだけは、他者に期待することを諦められない。
そうそう、私が楽曲提供した曲のなかに、A.B.C-Zの「じゃないほう讃歌」という歌がある。悲喜交々ある人生、それでも最後は笑えますように、そんな想いをサウンドと歌詞に託した。あのサビの終わりがまさしく、私のフィロソフィーだ。
「自分のマイクだけは譲らない みんなに届かなくてもいいや たったひとり笑顔にできたらいいや」
一般的に言われる承認欲求って、「私を見て!私を認めて!私を好きになって!」って感じだと思うけど、私の場合、「できれば私のことは見ないで。作品だけ見て!私を好きになるも嫌いになるも自由にして。それはどうでもよくて、万が一、私の作品がぶっ刺さったら嬉しいな!私の作品を好きになってくれた人へ、ありがとう」って感じ。
だから私は、音楽だろうが、広告だろうが、自分が携わった作品に対する承認欲求、それから他者貢献欲求が強いのかも。作品を受け取った「たったひとり」、かけがえのない一部のひとが、それぞれに意味のある体験をしてくれる。そうやって私は、作品を通して「傍を楽にしたい」。そういう欲求が、どうしても湧いてくる。
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(8)好きを仕事に、は舐められない
心が動くものを作る人であり続けたい。それだけは諦めたくない。数字や売上が結果的に伴うのは有難いが、それを行動の起点に構えてしまうと、どうしても萎える。
だからこそ、私には「好き」を磨き続ける覚悟が必要だ。「得意・ニーズ・お金」が結果として伴うような、一連の流れを巻き起こし続けるためには、それ相応の努力を積み重ねなければならない。やっぱり、好きを仕事に、は舐められない。
持続可能な「好き」を育てるために。違和感を抱いたら、何度でも立ち止まりたい。納得するまで、何度でも休みたい。「好き」を見失ったり、取り戻したり、紆余曲折しながら大切にしていきたい。
これを読んでくださった、あなたの「好き」も、健やかに続きますように。
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p.s.
先週から今週の流れのように、エッセイも、読んでくださった誰かとの対話から続けられたら、楽しそうだな。(英国帖のほうは変わらず、ただ起きたことを書くよ)
てなわけで、コメントやリスタック、どしどしお待ちしております!
よろしくおねしゃす。
Yugure
Twilight Lettersでは、Yugure(ゆうぐれ)が黄昏時のひとりごとを、静かなエッセイとしてお届けします。イギリスでの暮らしや、音楽と広告の仕事で感じたことを、ぽつぽつと。
⚫︎ 2026.6.12 大英図書館にて撮影






YUGUREさん、はじめまして!
「得意とニーズは動的要素」だという考え方に、確かに…と頷いてしまいました。
私は、これまで自分をあまり「やりたいこと」がないタイプだと思っていました。でも、ないのではなく、知らず知らずのうちに「得意やニーズ」を頭で混ぜ合わせてしまっていたのかもしれません。
ちょうど最近、子供が朝早く起きて、工作や絵を楽しんでいる姿を見て、「純粋にやりたいって、こういうことだったな」と思い出していたところです。
大人の物差しを一度横に置いて、「かねやり4象限」をやってみようと思います。素敵な記事をありがとうございました!
「好き」をベン図の1要素ではなく、川の源流として見ているところが印象に残りました。
好き → 得意 → ニーズ → お金
この順番だと、急に呼吸がしやすくなりますね。
最初から全部を横並びで満たそうとすると、人生が就活セミナーのホワイトボードみたいになってしまうので。
「好き」は甘いものではなく、手入れが必要なもの。
そこまで書いてくださったところに、このエッセイの強さを感じました。