好きを仕事に、を舐めるな。13歳の約束。
幸せの棚卸し術「かねやり4象限」
私にとって、ワーク〈ライク〉バランスとは。ワークとライクの理想的な比率を保つことではない。私のバランスなんて、だいたい滅茶苦茶だ。ワークが9割でも、ライクが9割でも、幸せだった。大切なのは、すべてのワークを引き受ける理由に、自分が納得できているかどうかだ。そうやって、ああ、今年も幸せやったなあ、としみじみ年越しそばをすする。もちろん、にしんそば。
年の瀬、あるいは人生の分岐点に立つたび、私は自分のワークとライクを棚卸ししてきた。「かねやり4象限(のちほど詳しく)」に書き出して、自分の幸せと不幸せを正直に確かめるのだ。
なにしとんねん、と自分でも思う。でも、これが私なりの人生を楽しむ秘訣だ。音楽や広告を作る仕事をしている身として、人生を本気で味わうことも仕事の一部なのだと、大真面目に思っている。
13歳で経験した恩師の死、26歳で心身限界の無職、あれやこれや乗り越えての現在30歳、イギリス暮らし。毎年棚卸ししてきたおかげで、自分なりの幸せライフを更新し続けられている。
世間ではよく「好きを仕事に」がもてはやされる。私も今となっては、好きを仕事にできているけれど、その言葉にいつも危うさを感じるし、今日は声を大にして言いたい。好きを仕事に、を舐めるな。
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好きを仕事にするって、簡単じゃなくて、危うくて、ときに人生を壊す。それを思い知ったのは13歳の頃。
それまでの私は、自信に満ちていた。みっちみちに満ちていた。音楽も勉強もできるし、そこそこ可愛い。音楽の時間を確保するため、順番に手放してしまったが、バレエも水泳も書道も絵画も、やることなすこと全部うまくいった。このまま努力を続ければ、「完璧な大人」になれると思っていた。
けれど、私が音楽のいろはを教わった、「完璧な大人」だと信じていた恩師が、突然亡くなった。自分の近くで初めて、老死でも病死でもないかたちで、ひとが亡くなった。
好きなことを仕事にして、輝いて見えていた人でさえ、人生はあっけなく壊れてしまうことがある。生きるのは、思っていたよりずっと難しい。私がどれだけ努力したって、自信があったって、完璧になれたと思い込んだって、人生は壊れうる。
生き続けるために、どうすればいい。人生を楽しみ続けるために、どうすればいい。
そこから私は、はなから好きなことだけで生きるのではなく、好きなことを続けられる人生を、こつこつやっていこうと誓った。「好きを仕事にする」ことは、必ずしも成功じゃない。どうしようもなく危うい奇跡みたいなものだ。ぼんやりと、でも真剣に、そんなことを考えた。いわゆる社会のレールに乗って、受験や就活をする自分を想像した。実家を巣立ち、生活基盤をつくり、まずは生きねば。
それが13歳の私なりに出した答えだった。
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そうして、私は「ワークが9割」の20代を過ごした。いや、もう10割を超えてたんとちゃうか。若い頃の私はほんまに不器用やった。とにかく極端で、心身の限界をむかえるまで走り続けて、休職をぶっ飛ばし突如退職した。今となっては、もうちょっとやり方あったやろとは思う。全然こつこつちゃうやん、ぶっ飛ばしすぎ。
まあでも、手加減できないくらいエネルギーが溢れていた20代前半のうちに、ぶっ飛ばしてみてよかった。人生には不器用なまま「ワークが9割」な日々を送る時期があってもいいのだ。少なくとも私の場合は悔いがないし、30代の自分が20代の自分にとてつもなく感謝している。
強制終了した私の会社員時代だったが、結果的にフリーランスとなり、今年で5年目になる。少しずつ仕事が舞い込んで、いわゆる「脱サラ」や「独立」と呼べる状態になったが、退職直後の1ヶ月間は完全無職。実家でぼーっとしていた。
その1ヶ月間、何をしたのか。実家の懐かしい勉強机に座って、A4サイズのスケッチブックにひたすら文字を書いていた。内側から溢れてくる言葉を、書いて、書いて、書きまくった。
いまや毎年恒例となったワークとライクの棚卸しが、そのとき始まった。自分のすべてのワークとライクを書き出して、分類して、取捨選択するのだ。これが冒頭の「かねやり4象限」だ。
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X軸は「お金になる」と「お金にならない」、Y軸は「やりたい」と「やりたくない」。いたってシンプル。
無職の私、100%本音でひとつひとつ棚卸しした。すると右下の「やりたくないけどお金になる」を、必要以上にやりすぎている自分に気づいた。ひとり分の家賃生活費が賄えれば十分なはず。シンプルでミニマルな答えが見えてきた。
会社で出世するとか、業界で目立つ存在になるとか、それ自体に幸せを感じるかどうかは、人それぞれだ。不幸のはじまりは、本当はそういったことに幸せを感じないくせに、周りの影響で勘違いしたまま走り続けることだ。まさに私がそれだった。自分の不幸せが痛いほど浮き彫りになり、ひとつずつ手放せるようになった。
なーんや、全然いらんやん。ぽいっぽいっぽいっ。
ほいで、左上の「やりたいけどお金にならない」は、ドン引きするレベルで、手がつけられていない自分に気づいた。好きなことを続けられる人生をつくろう、そう誓った13歳の私、ごめんやで。そりゃ人生しんどくなってきたわなあ!
あっぶね、あれもこれもそれも、ぎゅっぎゅっぎゅっ。
いざ書き出してみると、自分なにしてたんやろ、って目から鱗鱗鱗の大感謝祭。でも、たった一度の棚卸しで安心してはならぬ。せっかく完成した「かねやり4象限」は、目の前のワークに日々集中しているうちに、再び崩れてしまうのだ。
だから、何度でも書き直して、取捨選択する。そうやって、人生に手応えと幸せを感じていく。もう私の辞書に「惰性で続ける」はない!
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そんな感じで30歳になった私はいま、イギリスで暮らしている。日本の音楽業界と広告業界で、やりたい仕事だけリモートで続けさせてもらいつつ、ロンドンの専門学校に通ったり、ギグやらミュージカルやら展示やら足繁く通ったり、そんな生き方を選んだ。
3年経ったら日本に帰る予定だ。イギリスでのんびり吸収しているうちに、かねやり4象限がぐんぐん進化している。もしかしたらまた「ワーク10割越え」になるかもしれんが、問題はバランスじゃない。納得感があれば、それが幸せだ。
人生は山登りによく例えられる。私も山登り人生を否定しない。むしろ、人生の時期によっては、山を登るのは楽しい。それに、山を登り続けるモチベーションとエネルギーがある人は、ほんまに強いなあ、私には無理やあ、と尊敬の眼差しがぴかーんとなる。
そんなん無理な私の場合、「登る山が、人生の本体ではない」と思えるようになったから、精神的に楽になったし、たまに登ったり登らなかったりして、人生を遊べるようになった。登る時期も、登らない時期も、あっていい。だってこの世界には、山登り以外にも面白いことが山ほどあるから。海にぷかぷか浮いてみたり、芝生に寝転がってみたり、したいやん。
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ちょっとでも今の自分にモヤモヤしている人は、罫線のない紙とペンを用意して、「かねやり4象限」を書いてみて。ひとりじゃ難しいよってひとは、友達といっしょに喫茶店や居酒屋でやるのもオススメ。私もよく、悩んでいる友達の分を手伝うけれど、いつも私のほうが学ばせてもらっている。
問題はバランスじゃない。納得感がたいせつ。
ほなまた。
Yugure
Twilight Lettersでは、Yugure(ゆうぐれ)が黄昏時のひとりごとを、静かなエッセイとしてお届けします。イギリスでの暮らしや、音楽と広告の仕事で感じたことを、ぽつぽつと。
⚫︎ 2026.6.6 イギリスの自宅にて撮影



かねやり四象限、シンプルだけどめちゃくちゃ使えそうなフレームワークですね!天才ですか😳
自分が登りたいかどうかを考える余裕もないまま、山登りに参加していて、いつの間にか、高い山ほど良いような気がしてくる。そして眼の前の山をゴリゴリ登ってみて、本当にこの眺めが見たかったんだっけ?と山頂で首をかしげる…そんなことがありますね。
「かねやり4象限」の表情がわかりやすい!やりたくてお金になることより、やりたくてお金にならないほうが嬉しそう。純度か愛か、見えないZ軸があるんでしょうか:)