バズる人生を捨てて、イギリスに移住して1年が経った。
SNSでは隠していた、「プラダを着た悪魔」のような20代について。
5月1日、日本ではゴールデンウィークがはじまる頃。イギリスで暮らす私にとっては、ふつうの金曜の夜だったが、クライアントのほとんどが日本企業なので、心はすっかりゴールデンウィーク。
春の陽気に期待して、「コッツウォルズまでドライブしたいなあ」なんて、パートナーにおねだりしながら、イギリスの気まぐれな天気予報をチェックする。土砂降りやん。
喚きながら「MAY 1」の日付をみつめる。
ふと、街中で幾度となく見かけた「あのポスター」が脳裏をよぎる。
「プラダを着た悪魔2」の公開日だ。
前作を初めて観たのは、たしか小学6年生の頃。TSUTAYAでレンタルして、4つ上のお姉ちゃんときゃっきゃ言いながら観た。ちょうどハンナモンタナやハイスクールミュージカルを入り口に、アメリカ作品に夢中だった年頃だ。
高校生になる頃には、DVD版をついに購入し、英語の勉強を言い訳に何度も観た。マドンナの「Vogue」が流れるあのシーンなんてもう、狂ったように巻き戻して観た。脚本も、音楽も、演出も、すべてが好みだった。身近な大人の女性にいわゆる「バリキャリ」がいなかった私にとって、それは強烈な憧れであり、危険な参考文献だった。
そんな思い出深い作品の続編である。公開早々に観たかったが、彼の好みではなさそう、なんなら嫌いそう、と思った。白々しく、ダメもとで聞いてみた。「プラダを着た悪魔って観たことある?」
(彼)「あ、今日から2公開だよね。観にいく?」
え?ええっ?あんた、ほんまに好きなん?彼が乗り気なことにも驚いたが、その次の一言にはもっと面食らった。
(彼)「観たいけど・・・ゆいさんは観て大丈夫?・・・フラッシュバックしない?」
フラッシュバック?私、雑誌社で働いたことないよ・・・?と混乱しつつも、すぐに理解した。あなたからみた20代の私って、プラダを着た悪魔の主人公「アンディ」みたいだったんだ。なるほど、と腑に落ちた。
遡ること2024年10月、私はイギリスをひとり旅していた。悲願の思いで手に入れた長期休み。にも関わらず、私は「ミランダ」からの「ソソソシソ〜♪」を受け取ってしまった。そこに噴水があったらスマホをぶん投げたかった。噴水がなくてよかった。リージェントストリートを闊歩しながら、私の決意は固まった。日本に帰ったら絶対に辞める。年内に後任を探して、さっさと引き継ぐ。絶対に。
かくして2026年5月現在、私はイギリスの一軒家にいる。日本とは8時間の時差、そちらの夜は、こちらの昼。今日も相変わらず、太陽がみえたりみえなかったりする。お庭でわずかに光合成しながら、これをぽちぽちと綴っている。想定外の30代である。
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私の20代は彼のいう通り、いま話題の映画「プラダを着た悪魔」のようだった。業界こそ違えど、魅力もよくわからないまま華やかな業界に飛び込み、しがみつき、やがて飲み込まれた。
(業界が違うとは言ったものの、2作目の筋書きにはSNSマーケティングが割り込んでくるし、もし1作目が2020年代に作られていたとしたら、アンディが飛び込むのはきっと、SNSマーケティングの世界だったと思う。まさしく「Emily in Paris」がそれである。)
そんな20代のおわり、私は「バズる人生」を手放し、唐突にイギリスへと引っ越した。なぜ捨てたのか、なぜ移住したのか。いろんなひとに何度も何度も聞かれたが、理由はシンプルだ。自分の不幸せを直視してしまったから。
ああ、私が感じているこれはもう「成長痛」ではなく「消耗痛」だな、と悟った。SNSやDSPのアルゴリズム、東京のキャリア。ちっぽけな自分が、大きな社会構造にまんまと飲み込まれていく感覚を、認めざるを得なくなった。
こんなに稼いだって、旅行に行けない、映画が観れない、本が読めない。気やすく実家にも帰れないし、親友にさえ暫く会えていない、恋人との時間もうまく作れなくなっていた。もう生きた心地がしなかった。
私は逃げる場所として、イギリスを選んだ。理由はうまく説明できない。いくつも理由はあるし、ない気もする。姉がベルギーに住んでいるので、ありがたく長居しながらヨーロッパをあちこち旅してみた。そのなかで、いきいきと暮らす自分を想像できたのが、なんとなく、イギリスだった。
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そして、私が捨ててしまった「バズる人生」について。
長いことSNS断ちをしていたが、唐突に書いてみたいと思った。捨てるほど嫌いだった自己像だから、億劫なのも本音である。それでもSubstackなら、イギリスで生きた心地に満ちている今の自分なら、「書いてみたい」と初めて思えた。
だから、何が何でも書いてみる。Substackが日本でも、静かに、深く、誰かの人生に届く場所になることを願って。
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「私は優秀な学生でした!総代でした!20年間ずっと音楽に没頭していました!」そんなハッシュタグしか持ち合わせていない、まさに「アンディ」のような学生だった。
時代の流れにのるべく、SNSマーケティングの世界へ飛び込んだ。1年目から携わっていいのか、と不安になるようなビッグクライアントと仕事をする日々。激務の合間には、東京で出会えるレジェンドたちとの交流も欠かさなかった。大学生の頃、大阪駅前ビル地下街で鍛えられた、お酒の強さとトークスキルが功を奏したのだと思う。
そして深夜には、個人コンテンツも作った。Twitterでバズり、TikTokでバズり、noteでバズり、現代ビジネスでバズり、どういうわけかテレビやラジオにも出演した。わけわからん毎日だった。
京都の箱入り娘だった私は、ビジネスもインターネットも全然わからなかった。学生時代は音楽と勉強漬けの日々。だからこそ、20代は「東京に流される」がテーマだった。流されに流されて、行けるところまで行ってみた。
するとある日突然、この海の、沖から沖への旅を終えた自分に気づいてしまった。もう、海の渡り方は十分わかった。だから、この海も、船も、資材も、一度ぜんぶ手放さそう、と思った。
「アンディ」が「シャネル」を手放したように、怖いほど軽やかに、私はSNSを手放した。そして、ずっと憧れていた大海、音楽業界へと転職した。
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憧れの大海は、もっと苦しかった。音楽が、アーティストが、大好きだからこそ、うまくいかなかった。SNSマーケティングの仕事は好きだったけれど、SNSそのものは、ずっと好きになれなかった。その距離感があったからこそ、私はプロフェッショナルでいられたのだと思う。業界を離れてから、ようやく気づいた。
音楽業界は違った。担当しているアーティストたちに、数字目標を提示するたび、本人以上に私の精神のほうが参っていった。せっかくメジャーレーベルに転職したのに、結局ここでもSNSやDSPの数字と向き合う毎日だった。もちろん無視できない指標だと、わかっていた。それでも、もっと真っ直ぐにアーティストと音楽と向き合えることを、本当は期待していた。
心臓が「きゅっ」となる毎日だった。こんなに音楽もアーティストも大好きなのに、全然「きゅん」としなかった、「きゅっ」だった。成果を出しても、素直に喜べなかった。まあでも、30歳になった今振り返ると、当時の私は随分と不器用だったな、と思う。もっと器用にできたらよかった。
そうして忙しさが頂点に達したある夜、うまく息ができなくなった。「あ、このまま早や死にするんや、私。」と静かに悟った。まだ死にたくない、死ぬ前にやりたいことがありすぎる。Morgan Freeman みたいに、破茶滅茶なバケットリストを、破茶滅茶なパートナーといっしょに実行したかった。
やっぱり私は、創造と市場のバランスをとりたい。数字に囚われず、文化的にも経済的にも成立させる、そんな仕事がしたい。アーティスト自身が本当に幸せでいられる活動を支援したい。それから、大好きなヨーロッパを周遊したいし、なんなら住んでみたい。学生時代みたいに思いっきり、ミュージカルが観たい、映画が観たい、ドラマも観たい、本も読みたい。もっと家族や恋人、友達との時間を大切にしたい。
健康的で文化的な暮らしが・・・したいんやああ・・・いい歳した社会人のくせに・・・たわごとを・・・っっ!!!
そうして夢から醒めるように、退職した。転職活動なんか、できていない。完全ノープランだった。
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無職になった私は、東京のひとり暮らしの家をそのままに、とりあえず実家に帰った。家族と久しぶりに長く過ごせた時間。連れて行ってくれた伊根町、舟屋の景色。最高やったな〜。
会社員生活、たったの4年。当時はやり遂げた感覚があったが、今思うと4年って。めっちゃ短いやん。いや、
ちょ待てよ。(2026年にイギリスで「ロンバケ」を視聴できる世界線。ありがとうNetflix。)
アンディが「RUNWAY」で働いた期間は、約11ヶ月。ミランダのもとで1年耐えれば「どこへでも行ける」という設定だった。アンディに比べたら私、だいぶ耐えたほうでは?
ようやったわ、自分。いま、これを書いているこの瞬間、「どこへでも行けるようになった自分」として、初めて誇らしく思える。20代前半の私、死に物狂いで働いてくれて、ありがとうな。
無計画無職だった私に、どういうわけか、次から次へと「発注」が舞い込んだ。3ヶ月も経つ頃には、無職ではなく「脱サラ」や「独立」と呼べる状態になっていた。そうして気づけば今年で独立5年目になる。これまでお世話になった方々には、感謝してもしきれない。つぎ日本に帰国した際には、美味しいお紅茶をたずさえて、ひとりひとり強めにハグしたいと思う。(ハラスメントになるから無理かも!)イギリスで暮らしてみて思った、ハグ文化って偉大だ。京都の奥ゆかしい私(?)が、ド派手に感謝するようになった。素晴らしい豹変ぶりである。
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忙しさによって文字通り、「心を亡くしていた」東京の自分。(今日は独立までの4年間を綴ったが、独立してからの4年間も結局、忙殺されることになる。そのうち書いてみたいと思う。)イギリスで1年暮らしてみて、すっかり心を取り戻した。いい出会いにも恵まれ、良好なパートナー関係も築けている。
All I need is 時間の余裕と心の余裕だった。東京では散々だった。いろんな歌詞が書けるようになるくらいには、とんでもない東京ラブストーリーの数々を経験した。その中には「ネイト」も「クリスチャン」もいたし、なんなら、ふたりのハイブリッド猫型ロボットまでいた。恐怖である。
そうそう、ミランダガールズとして言わせてもらうと、私だったら「ネイト」と1作目の時点で別れる。あの最悪な誕生日のシーン。私だったら潔く仕事を優先して、別日で盛大に祝うし、それでも不機嫌になるような理解のない彼氏なら、ね?(thank you, next.)
ネタバレになるので、2作目について今日は語らないでおくが、ネイト視点で描かれたスタバのプロモーション映像はよかった。
ミランダのためにアンディが運んでいたスタバを、ネイトが独りで楽しんでいる、という皮肉な構造がいい。それから、このセリフが好きだ。
“Let’s leave Nate in 2006 and keep this good energy going.”
ほんまそれな。成長を妨害するパートナーなんか、いらん。2026年に持ち越さなくてよかった。
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今日は「プラダを着た悪魔」になぞって、おもしろ可笑しく、私の20代を振り返ってみた。過呼吸や動悸で眠れなかった日々はまっっっじで苦しかったが、振り返れば、ネタである。
かなりの文字数を書いたはずなのだが、まだ書き足りない。ミランダ大先生の “You’re not a visionary. You’re a vendor.” だけで、もうひと記事書きたい。でも書き足りないくらいがちょうどいいんだ、こういうのは。
これからも破茶滅茶な私の人生を、自由気ままに綴っていくので、もしあなたの人生にとって、なんかいい感じのネタになれそうでしたら、どうぞお付き合いくださいませ。
あ〜、すっきりした!
Yugure
⚫︎ 2026.4.6 Seven Sisters Country Park にて撮影




「成長痛」ではなく「消耗痛」だった、という言葉がとても刺さりました。
華やかな場所にいるほど、自分がすり減っていることに気づくのが遅れることがありますね。
それでも最後に、痛みをちゃんと物語にして、笑いまで添えて差し出せるところに、この文章の強さを感じました。
イギリスの庭で光合成している現在地まで含めて、見事な回復の記録だと思いました。